鼻毛石八幡神社・「硯石」
(群馬県前橋市鼻毛石町)
(2007・03・04)


地質データ 「No_095 Q3 新生代第四紀更新世 火山岩類(非アルカリ珪長質・苦鉄質火砕流)」

※ 「産業総合研究所地質調査総合センター」 「20万分の1日本シームレス地質図データベース」より引用

「硯石」の由来
寛治元年(1087年)(第73代堀川天皇)出羽の清原武則の孫実衡は、異兄弟、家衡と叔父武衡との戦となったため、
義家公は実衡に加勢するため出羽に出陣し、その途中当地を通られ、現在の御宮のところで暫しの憩をした。当時名
高い八幡太郎義家公のおいでのこと、村人集まり、群がり歓迎をしたという。
 この時義家公の徳を慕って、従軍を希う者が多かったので、義家公は従軍者の名簿を記そうと硯を取り出した時、
干抜で何処にも水がなかったが、休んでいた南の大石の祇凹にたまっていた水を硯にとり、名簿を記したと伝えられ
ている。
 その後村人は、この石に七五三縄を張り、硯石と称し、大切に保存し、現存している。
「群馬県前橋市立図書館」蔵書(蔵書名を忘れました) P.73より引用
群馬県前橋市鼻毛石町
「鼻毛石八幡神社」一之鳥居(境内入口)
▼(南西より望む)
群馬県前橋市鼻毛石町
「鼻毛石八幡神社」二之鳥居
▼(南西より望む)
「鼻毛石八幡神社」社殿
(北緯36度26分36秒・東経139度10分19秒(誤差含む))
▼(南西より望む)
鼻毛石八幡神社・「硯石」
▼(北東より望む)
鼻毛石八幡神社・「硯石」
▼(西南西より望む)
鼻毛石八幡神社・「硯石」
▼(南東より望む)
鼻毛石八幡神社・「硯石」の「盃状穴」
▼(北北東より望む)


記された「北緯・東経」は平成14年4月1日施行の測量法改正による世界測地系に基づく値です


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※ 参考サイト 「関東の神社めぐり プチ神楽殿」


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