五目牛の「牛石」
(群馬県伊勢崎市五目牛町)
(2007・03・10)
(2007・03・22)


地質データ 「No_096 Q2 新生代第四紀更新世 火山岩類(非アルカリ珪長質・苦鉄質火砕流)」

※ 「産業総合研究所地質調査総合センター」 「20万分の1日本シームレス地質図データベース」より引用

「洞山」は15万年前頃「赤城山」中央部の大規模崩壊で生じた
「石山岩なだれ」堆積面の「流れ山」上に存在している。

※ 参考サイト 群馬大学教育学部「早川由紀夫研究室」 「赤城火山の成り立ち」より
五目牛は、中世史料には「赤堀郷貢馬石村」(赤堀文書)として現れる。東道に沿って大きな黒い巨石が、ちょうど
黒牛のように横たわっており、地元では牛石と呼んでいる。
 しかし、中世では、それは牛ではなくて馬で、下野や奥州方面から来た貢馬(諸国の牧から都に貢進される馬)が、
死んで石に化したといった説話にもとづいたかのような地名で、東山道の通路にふさわしい。 (『赤堀村誌』)
伊勢崎市(1987) 『伊勢崎市史 通史編1 原始古代中世』 P.490 より引用
上の二辺は『延喜式』ルートで、右辺ではまだ道路遺構は見つかっていないが、それでも中間の赤堀町五目牛の
上独立した小さな丘の洞山は、その前後の路線の目標になっていたようで、市町村境に沿った「古あづま道」と
呼ばれる古道も一部の残っている。洞山付近で駅路の直線は若干の折れ線になっており、群馬駅の次の佐井駅
(赤堀町五目牛)は、このあたりが比定地として有力である。前群馬駅から16.4キロとなる。
木下 良 監修・武部 健一 著(2004)
 『完全踏査 古代の道 -畿内・東海道・東山道・北陸道-』 吉川弘文館 P.145、146 より引用


▼説明の看板A(03・10)
▼説明の看板B(03・10)
群馬県伊勢崎市五目牛町「牛石」
(北緯36度21分36秒・東経139度12分36秒(誤差含む))
及び「洞山古墳」が存在する「洞山(103M)」(背後)
▼(東より望む)(03・10)
「牛石」及び「洞山」(向かって右背後)
▼(東北東より望む)(03・22)
「牛石」
▼(北北西より望む)(03・10)
「牛石」
▼(北西より望む)(03・10)
「牛石」及び「粕川」(背後)
▼(北西より望む)(03・10)
「牛石」の西にある巨岩(祠アリ)
▼(南南西より望む)(03・22)
「洞山」山頂南付近にある「赤城神社」跡の石碑
▼(南より望む)(03・22)
「洞山」山頂南付近にある「赤城神社」跡の石碑
▼(北より望む)(03・22)
「洞山」山頂付近の巨岩群
▼(南西より望む)(03・22)


記された「北緯・東経」は平成14年4月1日施行の測量法改正による世界測地系に基づく値です


※ 情報提供 シャロマロさん


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