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西大室丸山遺跡
(群馬県前橋市西大室町丸山1128−1)
(2007・03・10)
(2007・03・22)

地質データ 「No_096 Q2 新生代第四紀更新世 火山岩類(非アルカリ珪長質・苦鉄質火砕流)」

※ 「産業総合研究所地質調査総合センター」 「20万分の1日本シームレス地質図データベース」より引用

「西大室丸山遺跡」及び「梅化櫻天神宮」は15万年前頃「赤城山」中央部の大規模崩壊で生じた
「石山岩なだれ」堆積面の「流れ山」上に存在している。

※ 参考サイト 群馬大学教育学部「早川由紀夫研究室」 
「赤城火山の成り立ち」より
前橋市西大室町字丸山にあり、赤城山南麓の赤城山起源の火山性泥流丘上に立地する。1990年にほ場整備事業に伴って県教委が発掘調査した。古墳3基と巨石祭祀遺構が見つかった。巨石祭祀遺構は泥流丘南面に位置し、そこから北に向けて赤城山を一望することができるところから、明らかに赤城山に対する信仰から生まれた遺構と考えられる。泥流丘の頂部から南面にかけて巨石の露頭が認められ、その巨石はほとんど下位の地盤とつながっているが、一部の巨石は原位置から動いている。巨石以外には、露頭部の北側に2基の土坑があり、南側には大規模な落ち込みがある。落ち込みからは土師器が出土しているが、土坑からはほとんど遺物が出土せず、巨石の基部およびその周辺で集中的に遺物が出土した。遺物の構成は大量の土師器(坏、高坏中心)と手捏土器(30点以上)、石製模造品(臼玉1万200、剣400、有孔円板120、勾玉40のほか、一部未成品や原石破片、総数約1万1000点)および少量の須恵器である。その出土場所と状況から遺物の内容や器種による差異は認め難い。土器は、もともと破砕された状況であったと考えられる。時期的には土師器などから考えて5世紀後半のものであろう。西に近接するほぼ同時期の舞台1号墳との石製模造品による祭祀との形態、性格の相違を考える上で貴重な資料となり、赤城信仰や巨石祭祀遺構を考える上でも非常に重要な遺跡である。出土遺物は県教委に保管されている。
「財団法人 群馬県埋蔵文化財調査事業団」より引用
▼国土地理院 地図閲覧サービス 543941 2万5千分1地形図名 大胡[北西]より引用・加工
群馬県前橋市西大室町(北緯36度22分40秒・東経139度10分40秒(誤差含む))より
「西大室丸山遺跡1号古墳付近」(向かって右)及び
「産泰神社」の鎮座する「流れ山」(向かって左奥)を望む
▼(南南西より望む)
同上地点より
「西大室丸山遺跡3号古墳付近」(向かって左)及び
「丸山遺跡居宅跡」の存在する「流れ山」(向かって右奥)を望む
▼(西北西より望む)
群馬県前橋市西大室町(北緯36度22分39秒・東経139度10分49秒(誤差含む))より
「丸山遺跡居宅跡」の存在する「流れ山」を望む
▼(北より望む)
「丸山遺跡居宅跡」の存在する「流れ山」
▼(北より望む)
▼国土地理院 地図閲覧サービス 543941 2万5千分1地形図名 大胡[北西]より引用・加工
群馬県前橋市荒子町(北緯36度22分32秒・東経139度10分41秒(誤差含む))より
「梅化櫻天神宮」の鎮座する「流れ山」を望む
▼(西より望む)
同上地点より
「丸山遺跡居宅跡」の存在する「流れ山」を望む
▼(南西より望む)
群馬県前橋市西大室町天神「梅化櫻天神宮」の鎮座する「流れ山」
▼(東より望む)(03・10)
「石碑」
▼(東より望む)(03・10)
群馬県前橋市西大室町天神「梅化櫻天神宮」・社殿
▼(東より望む)(03・10)
群馬県前橋市西大室町天神「梅化櫻天神宮」の鎮座する「流れ山」
(北緯36度22分32秒・東経139度10分57秒(誤差含む))より
「石山観世音(石山観音)」の「流れ山」を望む
▼(西北西より望む)


記された「北緯・東経」は平成14年4月1日施行の測量法改正による世界測地系に基づく値です


※ 参考サイト 「財団法人 群馬県埋蔵文化財調査事業団」


※ 参考文献 群馬県教育委員会(1991) 「舞台・西大室丸山-平成2年度荒砥北部遺跡群発掘調査報告-」


※ 情報提供 MURYさん


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