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「ブラジルの密林に神を発見した話」1
神屋 信一
私は大正十五年から南米のブラジル共和国サンパ | その様なことから判断にも種々と誤りがある様に思 | |
ウロ州の奥地の密林に入って、斧を振った一開拓者 | われます。その点ではブラジル等の大原始林の中の | |
であります。文明な都会の地をはなれて密林の中で | 生物界では太古のままの生活が営まれておりますの | |
原始的な生活をしていますと、自然の中で思いがけ | で意外な発見が多いのであります。 | |
もしない種々な発見をして驚いたり不思議な思いを | 私がお話し申し上げようとすることは学問的にはド | |
したりするものです。ここにお話しようとするのも | グマであるにしても、学術的な検討が出来ないから | |
その一つの例であります。 | といっても、一つの判断としては、現在の宗教のよ | |
私はこの話を「神を発見した話」と云ってよくは | うに、荒唐無稽な論旨をたてて、それによって、人 | |
なす事にしています。勿論こんなことはそんなに易 | 間の弱点に喰入って神に対する一種の恐怖心をつく | |
すく学術的な検討が出来る事柄ではありませんので | りあげて、それで一つの宗教に縛りつけようとする | |
学者からはドグマ的なものと一笑に附されることと | 仕事よりも、よほど論旨も学問的であり、うなづけ | |
思います。今日これ等のことをどう実験していくか | るところも多く、少なくとも人間を苦難におとし入 | |
と云う事になれば殆んど手のほどこし様もないこと | れたり、無知にするようなことにはならないと信ず | |
ではないかと思うのです。わけても、精神的な事に | るのであります。前置きが非常に長くなりましたが | |
なりますと、それは最も困難なことであって、今こ | 兎も角こうした推理も成り立つのではないかと思う | |
こでお話しようとする昆虫の様な下等な動物になる | のです。 | |
と一層むつかしいことになります。それに現在こう | 私は幼い頃から博物と考古学には趣味をもち、小 | |
した方面の研究をしようとする学者があったにして | 学校の頃から昆虫の採集には熱中しましたし、中学 | |
も、研究が自然とはほとんど縁のない都会の中で行 | 校の頃から考古学に興味をもって遺物をあつめたも | |
なはれており、自然に対しての見聞と言うのが案外 | のです。それは皆台湾でのことであります。ブラジ | |
せまい範囲に限られておる様で、一つの型にとらわ | ルに渡ったのは私の三十四才の時で開拓を目的とし | |
れすぎた考えが中心になっておるようでありますが | たことは勿論であります。私の移住したところとい | |
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うのが、只今、日本で移民希望の人達にさわがれて | の方が淋しいのです。━━━と述壊し「ジャングル | |
おるブラジルに残された大密林地帯、緑の地獄とブ | はわが故郷」といっております。この人はダイヤモ | |
ラジルではよばれているマットグロッソ州の密林に | ンドを探したり豹をとってその皮を得ることを仕事 | |
続いた州境に近い、サンパウロ州奥地の大密林の中 | としていたようで殆んど豹狩が本業となっていた様 | |
でした。ここは、私にとってはまことに恵まれた地 | です。永い森林生活は、北米の都市の中にあっても | |
であったといへます。十年間といふもの全く文明の | やはり「ブラジルのジャングルはわが故郷である」 | |
世界とは隔離されて、原始生活を大密林の中で営む | と慕っております。 それと同じ様に私達は「ジャ | |
ことが出来たのであります。 | ングルはわが研究室」と云っております。只今では | |
サーシャー・シーメルと云ふ人が、マットグロッソ | サンパウロ市の中心街に住んでいるのですが、近く | |
州の森林地帯に三十数年住んだ生活記録が「ジエオ | やはり「わが研究室」であるジャングルへかえる予 | |
グラフィックマガジン」に掲載されていましたがそ | 定をしております。ジャングルをはなれては私達の | |
の一節に━━━━今、私は毎年のいくらかをフィラ | 生活はない様です。 | |
デルフィアの郊外の小さな農園に過していますが、 | ||
そこには朝に夕に、いろいろの動物がなき囀ってく | さて大密林の中の夜明けといふのは、全く夢の様 | |
れます。しかし私はいつももっとほかの者を待って | に美しいものです。特にブラジルの原始林地帯は高 | |
いることに気がつきました。それは河岸に叫ぶアリ | 原のことでありますから、朝は身をしめつけられる | |
ゲーターや、木の枝にさわぐ猿であり、又ジャング | ような冷気を感ずることが多く、まだ薄暗いうちか | |
ルに愛をささやく山猫、或はけたたましいオウムの | らウヅラのかん高い声がします。夜がしらみかける | |
鳴き声であります。友人達はいつも私にいってくれ | と小鳥たちが囀りはじめます。その間に、キツツキ | |
ます。「君は今度は一人ぼっちでなく淋しくないで | が金鎚で鋼鉄の棒でもたたく様な高い音をたて、真 | |
しょう」と。しかし私にして見れば、ジャングルで | 紅な、或は黄色い、又は白い、色とりどりの美しい | |
の生活は決して淋しくはなかったし、むしろ町の中 | 冠毛を飾りたてた頭をふりたててその嘴を大木の幹 | |
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にたたき込んでおります。 やがて空を蔽ふておる | その光の注ぐところに集っておるのであります。 | |
大木の樹間をもれる朝の太陽が矢を射るように差し | しかし、これは何にも密林の中ばかりのことではな | |
込んできます。その陽光の降り注いでゐる木の枝の | くて、日本の農村あたりではよく見る景色でありま | |
ところどころに、小鳥や巨嘴鳥までが大きな嘴をな | すし街中でも家の中に巣をつくる燕などを見ていま | |
らべて目白押しをしております。豚に餌をやろうと | すと朝家の戸が開いて飛び出した時には日当りのよ | |
豚小屋に行きますと仔豚は皆陽の当る側の柵にすり | い屋根などにとまって、翼を展げて陽を心ゆくまで | |
よって押合いながら陽光を浴びてゐます。鶏の親も | 浴びてから餌をあさりに飛び立つものです。しかし | |
雛も同じ様に日あたりのよい場所を選んで集まって | 多くの場合そんなことはあまり気づかれないもので | |
います。木の間がくれに見える隣家の日ざしのよい | すが、これがブラジルのような大密林に入って見ま | |
窓の下には子供達が日向ぼっこをしながら何やら話 | すと著しく目につくものです。この様な情景は何も | |
会っております。朝と云ふ朝、雨の日でもない限り | 近代にはぢまったと云ふものではなくて、数千万年 | |
生きているもののすべてが太陽の光のさすところに | も数十億年もの地球の創成のときから同じように引 | |
集っておるのです。植物になるとそれ程目立っては | 続いて繰り返されて来たことだと思ひます。 | |
いないのですが、太陽の光に向うことはよく知られ | 又、弱肉強食の行はれておる密林のことですから、 | |
ておることです。 | 日が暮れて夜ともなれば弱いものには不安がおとず | |
大密林では大木が競い合って、少しでも頭を天に向 | れるわけです。その不安の一夜を過して朝になって | |
ってぬき出そうとして真直にぐんぐん伸びていきま | 太陽が昇るということは、全く歓喜の夜明けである | |
す。密林の中では大木と競い合う力のない竹は蔓性 | にちがいありませんし、木の間からさし込む朝の陽 | |
になって大木にまつわりながら大木の上にぬき出そ | 光と、その温かさは慈愛に満ちたものであるはずで | |
うとします。こうした努力をしてでも陽光をうけな | す。この朝の一時といふものの蘇みがえったような | |
ければならないのです。 | 歓喜あふれた感情は密林の生活をしたものでなけれ | |
この様に密林の朝は万物悉く陽光をあびようとして | ば想像もつかないことかも知れません。こうして人 | |
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間である私達から、猿や小鳥にいたるまで歓喜の朝 | 陽の光や熱に対して「有難い」と云ふ念を起したも | |
を迎えるのであります。この太陽を慕ふと云ふこと | のがあったと思います。あるいは、この人間の祖先 | |
は、生きとし生けるもののすべての心であることに | になる猿に似たもののすべての心の中に多かれ少な | |
間違いありません。 | かれその念があったのではないかとも思われるので | |
全くこうした大自然の中で生物の生活を見ておりま | す。勿論その様な考へがはっきりと起るまでには、 | |
すと、生物がいかに太陽の光とか熱とかを望んでい | 幾代もの長い歳月がかかった事だと思ひます。即ち | |
るかといふことがよくわかります。それが今日の人 | この一群のものには太陽に対して「感謝する」とい | |
間のように進んできますと、太陽といふものに対し | った心が芽生えて来たと思ひます。太陽が出たから | |
てのそうした関係は次第に薄弱になってゆくのであ | あたる、あたたまったら活動を始める、といった単 | |
りますが、おそらく太古、人間がまだ猿のように木 | 純なことではなしに太陽が出ると明るくなる、温か | |
の上の生活をしていたときには、今日の密林の生物 | になる、害敵からのがれられる、しかも食をあさる | |
のように太陽を何によりも慕って集ったことは間違 | ことも出来るということに「太陽はありがたいもの | |
いないと考えられるのです。ですからこの太陽の光 | だ」といふ感謝の念をもちはじめたものだと思ひま | |
がさせば、夜があけて、温かになると云った様なこ | す。この感謝の念が信仰であると考えられます。 | |
とはどの生物にもわかっていた事ですから、朝の一 | 又、進んでよく自然界を見ていて、すべてのものが | |
と時を陽光に温くつつまれて過すと云った事は密林 | 太陽に依って生成されておると云ふ事に気がついて | |
の生物すべての習性になっていたのであります。し | 来たにちがいありません。そうなると太陽の力の偉 | |
かし、一般のものは、只、「明るくなった。温かだ」 | 大さに驚異の心をもつようになり益々太陽に対して | |
と感じるだけのことでありました。ところが同じこ | 「感謝し、敬愛する念」を深くしたものでありまし | |
の陽光を浴びている生物の中に、人間の祖先になる | ょう。この信仰は他人から強いられたものでなく、 | |
はずの猿に似たものの一群がありました。(これから | 極めて自然に心に芽生えて来た「美しい感情」から | |
私の独断的な推測になって来ます)その群の中に太 | 出た信仰であったはづであります。 | |
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