趣味のページ 磐座・巨石1 磐座・巨石2 諸国一の宮 延喜式内社 民 俗 学
野湯・源泉 日本百名山 生態写真 神屋信一

「ブラジルの密林に神を発見した話」3
神屋 信一

フクロウ蛾(神屋信一撮影)
純真であること、真剣であることが最も重要なこと  二、この感謝の念こそ信仰であること
になりましょうが、又なに心なくいつも見ておると  三、太陽に対して感謝の念をもったことが火に親
いふことも影響することがあるでしょうし、突然あ    しむ原因になったこと
った事に影響されることもあると考へられます。  四、他の動物が太陽に対して感謝の念、即ち信仰
出生児について、そうした結果があるかという調査    をもち得なかった事が今日になっても火を恐
をすれば相当数の実例はあげられると思います。    れること
こうして太古の私達の祖先の祈りは、次第に今日の  五、私達の遠い祖先は、自分の姿に似た、しかも
様な姿の人間の基礎をつくったものだと考へられな    理想の姿をした神を想像してこれを祀る様に
いこともありませんし、それ以外にも生活の環境に    なり、遂にこの神が実在して宇宙を支配する
依って種々と形づくられて来ておると思いますが、    ものと信ずるようになった。
何れにしても、形の進化して行く一つの原因にこの  六、火を太陽の分身と信じ、太陽に捧げると同様
様な意志の仂きと云ふものが影響しておるというこ    な感謝を火に捧げるようになったこと、焚火
とを考えに入れるのでなければ種々と説明のつきか    をはじめ、神仏の燈明等すべて神として火を
ねる様なことが沢山ある様に思われます。ところが    祀った名残りである。
この様に遺伝に意志が仂くといった様なことは実験  七、私達の祖先が神を造って、その神に感謝を捧
が困難でありますし、その説明もむつかしくて、今    げると共に、子孫がこの神の姿に似ることを
後とも無理な説明を与えられて過ぎてしまうことに    念願した。
なるでありましょう。  八、そうした意志の仂きは遺伝して形に現われる
私はただの開拓者でありますから、学問的な説明は    ことになり、人間を今日の様な姿に進化さす
できませんが、    のに大きな力となった。
 一、サルに似た時代にあった私達の祖先が太陽に 等ということを申したかったのであります。そうい
   対して感謝の念をもった。 うことで、人間の進化というものは、信仰に依った
-9A- -9B-
もので、この信仰がなければ、即ち火を敬い、火に ます。この木に緑や茶の色をしたテントウ虫科の昆
親しみ、人を利用するすることを知らなければ人間 虫がよくとまっておるのですが、その背には先が二
もやはり今日の高等猿類の位置で止ってゐたもので つに別れた刺があります。その木の刺も同じ様に二
はなかろうかと考へるのであります。前にも申しま つに別れております、ですからその刺の間に虫が止
した様に「意志が遺伝の何かの因子に仂いて、形の っておれば、動かない限り全くわかりません。自然
上に変化を現はす」といった様に一足とびに申しま 淘汰によってそうしたものが残り適者として生存し
しては、全く私の独断的な考えとして一顧も与えら 遂に全く木の刺と同様な形にまで進化したものとす
れないようなことになりそうでありますが、私がこ れば全く良い例となりますが、目をごまかすだけな
の事を申し上げたいのは、もっと下等な昆虫類の中 らこの虫の背の刺は一本でもよかったはずであり、
にさえ、これと同じ様な説明をしなければ説明の出 実際にはこの木の刺にも一のものがありますがそれ
来ないものが沢山あります。 はまれで、その殆んどは先が二本になっております
 これは信仰といったものではないようであります  又、森林の中には落葉が積っております。その落
が、一つの念願といいますか、或いはそんなむつか 葉の色といふのは朽ち方によって黒いもの、茶褐色
しいものではないにしても、強い印象に依ってやは のもの、銀色になったもの、それに、黒や白のカビ
りそうしたものが、子孫の代に伝わっていって、形 の斑点が所々ついておるものなどがあります。この
に現れる様になるのではないかと考えられる例であ 落葉の上を「木の葉蝶」がとびまわっているのです
ります。 この「木の葉蝶」は一般に知られている台湾あたり
 これは単に昆虫の疑態とか、模様として説明され の木の葉蝶とは異ったもので、おもに森林の中の明
ており、疑態の場合には「適者生存」の好例として るいところを低く、飛び廻っておるもので野獣の糞
用いられるのが普通であります。 適者生存の例と などがあると好んでこれにとまっております。とま
してはまことに都合の良い例になります。例えば、 っているときにはたえず翅をひろげたりたたんだり
森林の中に表皮に大きな刺を持った荳科の木があり しておるのですが、カサカサと落葉をふむ音がする
-10A- -10B-
と皆一様に翅をたたんで横になります。丁度落葉と は考えられません。この場合、一般の牧場では特別
同じ位置に、たたんだ翅を倒すのです。そうすると なカムフラージをしなくてもあまり危険はないよう
蝶と落葉の区別はほとんどつかないようになります ですが、それでも牛飼いに追はれることは度々あり
この蝶の翅の色にしても落葉と同じような黒いのも ましょうし、猛獣におそわれることもないではあり
あり、茶色もあり、銀色のもあって落葉にあるカビ ませんから、その必要はないとは云えませんが、こ
の斑点までついていて、この斑点はその蝶によって んな疑装をする様になった原因はもっと古い時代に
種々雑多な形や位置があって一定はしておりません はじまっておるのでありましょう。ブチは確かに焼
し、しかも翅には落葉と同じ様に朽ちたところまで 株の多い原野か石礫の多い河原から得たものだと思
あります。 はれないこともありません。
 斑点の話をしましたが、ブチの犬や黒い斑点のあ 渓谷に棲む緑色のハトがあります。これ等も山の中
る牛などもこれに似ておるようです。犬や牛の斑点 の苔のついた石の多い河原に餌をあさるための疑装
はほとんど生れる仔によって、ブチの大きさや位置 であることを戦争中の比島の山中の渓流で知ること
もちがっておること、前の木の葉蝶の斑点と同じで ができました。その緑の体の頸すじあたりの白い斑
す。ブラジルの放牧した牛を見ていますと、放牧場 点などは、その配色の具合が河原の石の緑の苔や白
は森林を伐って焼き払ったあとですから木の切株は い地衣等と全く区別がつかない様に出来ており、近
黒くこげて、大小高低種々な形で立っております。 くに居ながら飛びたって始めて気がつく位なもので
その中に白と黒のブチの牛が立っているとは見えな す。
いものです。こんなことは都会近くの牧場あたりで このようなことが単に自然淘汰によるものとは考え
は想像もつかないことですが、妊娠中の牛が焼跡で られません。これ等は相当高等な動物の話でありま
暮していたのではないかと思はれるほどです。どう すが、もう一度昆虫にかえして例をあげますと、こ
もブチというのは焼け残った切株の多い放牧場に関 れもやはりブラジルの森林の中のことですが、落葉
係があるようです。単に白と黒との雑交したものと の中に小さな緑色の莢豆が落ちています。莢のとこ
-11A- -11B-
ろどころが黒く腐っています。おそらくその腐れの に太く短かく茶褐色ですがよく見るとその触角は持
ために茎からもげて落ちたものだと思ったので、ど まえの細くて長いものです。その根本のところだけ
んな種類の荳かと手を差し出すと、その荳は飛んで が蜂の触角と同じ長さだけが色も蜂と同様で太く短
しまったのです。追いまわしてやっと捕えて見ると かく出来ており、その先の方は黒くて細長く目立た
これはキリギリスの種類です。それにしても落葉の ぬ様になって居て、一寸見ると蜂の触角とより見え
間にとまっているときの様子は全く腐れの入った ないようになっておるのです。こんな具合ですから
荳としか見えません。もう一つブラジルには紫で光 飛んでいる時には全然おおむらさき蜂との区別はつ
沢のある大きな蜂がおります。ベツコウ蜂の種類か かないわけです。単なる自然淘汰で生存するものと
も知れません。私はおおむらさき蜂とよんでいます すれば、これ程まで念を入れないでも残り得るので
ブーンとうなりながら飛んでおるのをよく見かけま はありますまいか。こうした例をあげて来ますと、
す。この蜂を捕えて見ると、その幾匹かのうちに蜂 日本あたりで考へられる疑態等とは比較にならない
ではなくて、全く同じ色で、形もよく似たキリギリ 程多種多様のものがあって、疑態であるとか疑装で
ス科の昆虫を発見します。似た形、同じ色、それに あるとかいうものが、自然淘汰によって適者が生存
同じようなウナリ音をたてて飛びまわっているので して今日の様な形にまで発達したのだというだけで
すから手に取って見ない限りキリギリスの種類だと は説明のつかないものがあります。勿論単にそうし
は気付きません。よくもこれ程おおむらさき蜂に似 た径路をたどったものもありましょうが、他に何ら
た疑態が出来たものだと感心せずにはおられません かのもっと大きな原因があるのではないかと考えら
その触角等は特に苦心の作であることがうかがえま れるのです。その原因の一つとして、前にもお話し
す。この蜂の触角は太くて短かく、茶褐色ですが、 しました様に「人間が神の姿に近寄ろうと念願した
キリギリスとか鈴虫と云った虫の触角は細くて長い ことによって、人間が今日の様な姿に進化して来た
ものです。今、この蜂の疑態をしておるキリギリス 今日でもよい児を産むために、胎教を行うという様
の触角を調べてみますと一見、蜂の触角と同じよう なことは、その意志の作用が遺伝の因子にはたらい
-12A- -12B-

1へ戻る / 2へ戻る / 3 / 4へ進む


掲載文の無断転載・転用を禁止致します
Copyright (C)2006〜 Shinichi Kamiya All Rights Reserved


趣味のページ 磐座・巨石1 磐座・巨石2 諸国一の宮 延喜式内社 民 俗 学
野湯・源泉 日本百名山 生態写真 神屋信一