「ブラジルの密林に神を発見した話」4
神屋 信一
| て次の代に、或いはその後の代に於いて形になって |
|
に前翅をひろげてフクロの顔を出すのです。これは |
| 現はれて来ることがある」といえるのではないかと |
|
何も小便にかぎったわけではなくカサコソと音をた |
| 思うのです。 |
|
てさえすれば必ず前肢をひろげてフクロの顔を出す |
| 前に挙げた数例もそうでありましょうが此処に比較 |
|
のだということが実験でわかりました。 |
| 的説明のしやすい例がありますので、それを挙げま |
|
この蛾は前翅をたたんで枯葉の姿で居れば、私等に |
| す。 それより先に「昆虫に意志があるか」という |
|
は仲々見つけ出されないのですが、それが音がする |
| ことになるのですが、昆虫に意志がないとは云えな |
|
とことさらにあざやかな色模様のフクロの顔を出す |
| いわけです。あの様に活動しておるのですから、昆 |
|
のです。これはカサコソと音がすることで、落葉を |
| 虫は昆虫なりの意志をもっていて、種々とはたらか |
|
ふんで敵が近寄ることを知って、その敵を威嚇しよ |
| せておるはずです。人間の尺度でそれを計ろうとす |
|
うとしての動作であることがはっきりしています。 |
| るところに無理があるのでしょう。 |
|
それでなければこんなことは全く必要のない動作で |
| 或る日、私が後生林の中の落葉の積って居る湿地で |
|
す。人間等に対してであったら、じっと枯葉の姿で |
| 何気なく小便をしたのです。小便が枯葉にかかって |
|
ゐた方が効果的であるわけです。しかし、この蛾に |
| パサパサと音がした時に私の足もとに落ちていた朽 |
|
とっては枯葉の姿は小鳥などの様に空中から音もな |
| 葉が動いたようでした。見ると一匹の木の葉蝶の模 |
|
く近寄れる敵に対しての用意であり、フクロの顔は |
| 様をもった蛾が前翅を左右にひろげたのです。する |
|
足音をたてて近寄る小動物等への威嚇の手段である |
| と前翅の下から現れた後翅の模様がフクロの顔に似 |
|
と考えないわけにはいきません。問題はこの後翅の |
| ていて、その瞳がするどく光っておるではありませ |
|
模様が事実フクロであるかどうかということです。 |
| んか。音がしなくなるとその蛾は静かに前翅をもと |
|
ブラジルには極く小さなフクロが生棲していて顔も |
| のとおりにたたむのです。前翅をたたむと1枚の枯 |
|
よく似てゐて、フクロの顔であることは間違いがあ |
| 葉の姿になって他の落葉とほとんど見分けがつきま |
|
りません。この小形のフクロについても面白い話が |
| せん、又小便をして音をたてて見ると前と同じよう |
|
ありますが、それは後の機会にして、この後翅の模 |
| -13A- |
|
-13B- |
| 様をフクロと決めますと(ブラジルには他の蝶の種 |
|
やはりほんものの蛇に見えるのでありましょう。 |
| 類でフクロの模様のものがあります。これは蛾の場 |
|
こうした動物の疑態や疑装のことは、その色彩等が |
| 合とちがって後翅の裏側にあります。) |
|
単に人間の目で見ての判断できめることは正確とは |
| この蛾を襲う小動物はいつもフクロをおそれている |
|
いえないと思います。例へば蛇の模様のある蝶の翅 |
| もの、すなはちフクロに捕食されがちの小動物であ |
|
にしても、他の動物には蛇の部分だけがはっきり見 |
| ると考えられます。森林には蛾等を捕食する動物に |
|
えて他の部分はほとんど周囲の状態にまぎれて見え |
| どの様なものがあるかは確かめてはおりませんが、 |
|
ないようになっておるのかもしれません。動物や昆 |
| 鼠等もあり、猿の類もあり他にも数種類の小動物が |
|
虫の眼にはどううつり、どう感じられるかというこ |
| あります。兎も角フクロをおそれる小動物、フクロ |
|
とはむつかしい事だと思います。 |
| から取って食はれる小動物でありながら、その動物 |
|
さてこのフクロの模様のある蛾のはなしですが、こ |
| がこの蛾を捕食しようとするものに違いありません |
|
の蛾がこうした模様を獲得したのはどうしてである |
| この蛾は自分の身を守るためにその足音が近寄ると |
|
かということが問題になるのです。単に自然淘汰に |
| 前翅を開いて「お前の強敵フクロだぞ」と威嚇して |
|
よったものとは考へられないのです。このフクロは |
| 難をのがれようとする仕掛であると見られます。 |
|
単に枯葉をふむ足がすれば翅をひろげてフクロの顔 |
| この様な疑装は他にも二・三発見されております。 |
|
を出して見せるのですが、蛾は意識してこんな動作 |
| 蝶の翅の蛇の紋様のあるもの等も優れてものです。 |
|
をしておるのでしょうか。おそらく現在では単に音 |
| この蝶は主として森林の中を飛んで居るもので、木 |
|
に対して、(木をたたく様な音ではなくて足で落葉 |
| の枝等に翅をやすめたときの用心だと思われます。 |
|
をふむ音)意識しないで反射的にこんな動作をして |
| その紋は蛾には翅の表に、蝶はその裏にというのは |
|
いて、すでに本能にまでなってしまったもののよう |
| 静止した時外敵に見せるためのものですからその微 |
|
です。しかしいづれにしてもこの模様と動作には関 |
| 妙な配慮がうかがわれます。蛇をおそれる樹上の動 |
|
連があって、最初には意識して動作するようにした |
| 物といえば先づ猿等でありましょう。猿から見れば |
|
ことは確かでありまして、この模様だけ見て直ちに |
| -14A- |
|
-14B- |
| 自然淘汰によって獲得したものとは思えません。そ |
|
うになり、足音をきけば或はそのかすかな震動を感 |
| う考へるこにはどうしても無理が多いようです。こ |
|
じたら前翅を開く動作を反射的にするようになった |
| れはどうしても蛾の祖先のうちに、それもおそらく |
|
ものでありましょう。兎に角この模様が無意識に自 |
| 雌でありましょう、自分等の一族が何時も小動物の |
|
然淘汰によって獲得されたものでないということは |
| ために捕食されるところから、その難をのがれるた |
|
明かなようであります。 |
| めに思いついたのが「その敵である小動物を捕食す |
|
私が「人間が神に似た姿に近寄ろうと念願すること |
| るのがフクロであって、その小動物がフクロを非常 |
|
によって今日の様な人間としての進化を見たものだ |
| におそれてゐる」ということを見て知ったわけです |
|
と考へたのは、この蛾の動作や疑装を見て、「まし |
| それでこの蛾の祖先は「自分がフクロの姿を装ふ事 |
|
て人間のことであるからそうあり得るはずだ」と推 |
| が出来さえすれば、自分達の害敵である小動物を威 |
|
測したものであります。 |
| 嚇して近よらさないことが出来るのだが」と考えた |
|
こうしたことは学術的な検討が至難であるとはい |
| ものでしょう。そうしてこの蛾は自分の翅にフクロ |
|
っても、一応は考へて見なければならないことだと |
| の姿の現はれることを念じたのでありましょう。 |
|
思います。学者は「蛾は近眼であるからフクロの顔 |
| 遂に前翅には枯葉の疑態をして上方からの敵に後翅 |
|
を見る事が出来ない」といって蛾がフクロを見たと |
| にはフクロの似顔を現はすことによって地上からお |
|
いうことを第一に否定するでありましょう。しかし |
| そって来る小動物を威嚇する仕掛をもつことに成功 |
|
見える程度近接していたことも屡々ありましょうし |
| したのであります。そうしたフクロの意志が、その |
|
又蛾が近視になったのは近代のことであって、近視 |
| 遺伝因子にどの様にか作用して漸進的にか、或は突 |
|
でなかった古い時代に見たフクロが深く印象づけら |
| 然にかその子孫の何れかの時代に出現することにな |
|
れていたことから起ったのかも知れないのでありま |
| ったのだと思います。そうして初めは後翅にフクロ |
|
す。 眼から入ったフクロの姿が強い作用によって |
| の似顔をもっていることを意識して開いたものであ |
|
遺伝する因子のどこかに焼きつけられないともいえ |
| りましょう。それが次第に本能となって遺伝するよ |
|
ないと思います。問題は意識的に「フクロの姿を現 |
| -15A- |
|
-15B- |
| 出したい」と蛾が考えたかどうかということです。 |
|
のだということをいいたかったのであります。 |
| その前に害敵である小動物をフクロが捕食するとい |
|
そうして、神といい造物主というのは実在している |
| うこと、その小動物がフクロをおそれているという |
|
太陽である、この太陽に対する感謝が真の信仰であ |
| こと等の関連した状態をその蛾が認識していたこと |
|
るといふことには、おそらく否定する理由は少しも |
| にもなって高等動物の能力に似た能力をもっていな |
|
ないはずであると私は信じております。 |
| ければならないことにもなりますので、直ちに否定 |
|
私はブラジルの密林の中で此の神を発見すること |
| されたりしそうです。しかし密林の中に住む昆虫類 |
|
が出来たのであります。これは大自然の中で原始生 |
| を観察しておりますと、どうしても「昆虫などに意 |
|
活をすることが出来たからのことでありましょう。 |
| 識を仂かせる能力があるはずがない」等とはいえな |
|
おそらく都会の中にあっては文明に魅惑されたり、 |
| い種々な事実を観察するのであります。却って、こ |
|
宗教に迷はされたりして遂に神を見出すという様な |
| うした弱肉強食の行はれておる世界では鋭敏にその |
|
ことは出来ないことでありましょう。 |
| ような能力が、ちがったかたちによって、はたらい |
|
-16B- |
| ておるのではないかとも考えるのであります。 |
|
|
| 自然に対して非常に鈍感になった人間が、食うか食 |
|
|
| はれるかという他の生物、特に虫類などの社会の判 |
|
|
| 断が適確に出来るかどうかという事の方に疑問が多 |
|
|
| いようです。 |
|
|
| 私はこうした下等な虫類のこうした事実を例にと |
|
|
| って長々と書きましたがそれは太陽に対しての感謝 |
|
|
| の念が信仰であり、その信仰はやがて人間に神をつ |
|
|
| くらせ、その自分の造った神を崇敬することによっ |
|
|
| て人間は今日の様な姿にまで進化することが出来た |
|
|
| -16A- |
|
|
1へ戻る / 2へ戻る / 3へ戻る / 4
掲載文の無断転載・転用を禁止致します
Copyright (C)2006〜 Shinichi Kamiya All Rights
Reserved